1/29/2010

歴史と文化の薫り漂う街、ドイツ・ライプツィヒへ

今日のデスティネーションは、
ドイツ東部の街:ライプツィヒです。

ライプツィヒ、日本人ツーリストには
なじみが薄い街かもしれませんね。
実は、旧東ドイツ地域では、
ベルリンに次ぐ大都市なんですって。

15世紀にドイツでも古い歴史をもつ
ライプツィヒ大学が誕生した、学問の街。
16世紀に入ると、近隣諸国との交易がさかんに行われ、
また、印刷技術が発達によって
海外の書物や印刷物が取引されるようになり、
商業の街・本の街・見本市の街、として栄えました。


そしてもちろん、音楽の街。
偉大なるヨハン・セバスチャン・バッハをはじめ、
メンデルスゾーン、シューマン、ワーグナーなど、
数多くの音楽家たちが、
ライプツィヒで創作活動にはげみました。

まずは、音楽のバッハゆかりの場所を歩いてみましょう。

バッハがライプツィヒにやってきたのは、1723年。
聖トーマス教会の音楽監督に就任したのがきっかけ。
以来、65歳でこの世を去るまで、
ライプツィヒで過ごしました。

教会の音楽監督としてのバッハは、大忙し!
日曜日のミサのために、
毎週々々教会音楽を作曲したり、
聖歌隊のこどもたちにレッスンを施したり、
大学の学生たちを率いて、
市民コンサートを開いたり・・・
バッハの代表曲は、
この時代に作られたものがほとんど、
というのも頷けます。

バッハの音楽的インスピレーションとなったのが、
街のほぼ中心に位置する 聖トーマス教会。



神聖な雰囲気がただよう教会のなかをぐるっと見回すと・・・
ありました。バッハのステンドグラス!

天井が高く、祭壇の両側に広い回廊がのびる聖トーマス教会は、パイプオルガンや聖歌隊のコーラスが 絶妙に響く、というので、バッハも、ここでの演奏を楽しみにしていたとか。

いまでも定期的に、
パイプオルガンの演奏が行われているそうです。
ステンドグラスの光のなかに響く、オルガンの音色
一度聴いてみたいですねえ。


バッハの街:ライプツィヒでは、毎年7月、
音楽の父をたたえる
「バッハフェスティバル」が開催されます。
7月11日から10日間、
200以上ものコンサートやイベントが予定されています。



歴史と文化の薫り漂う街:ドイツのライプツィヒ

なにやら賑やかな声のするほうへ行ってみると・・・・
そこはライプツィヒ名物、ショッピングアーケード。

ルネッサンスやバロック様式で作られたショッピングアーケードは、15世紀から16世紀、商業都市として栄えた当時の名残りです。

なかでも有名なメードラーパッサージェには、
詩人:ゲーテが足しげく通ったといわれるレストランがあります。お店の名前は、「アウアーバッハス・ケラー」。彼の代表作「ファウスト」にも、アウアーバッハス・ケラーを舞台に、学生たちがビールを飲みながら人生談義する場面が描かれています。



最後は、街のもうひとつのシンボル、聖ニコライ教会へ。

1989年の東西ベルリン統一。
ベルリン市内で起こった出来事、という印象がありますが、
実は、きっかけとなったのはライプツィヒ、
聖ニコライ教会だったんです。



1983年、不安定な世界情勢をうけて、
聖ニコライ教会のクリスチャン
フューラー牧師が、毎週月曜日の夜、
世界平和をいのるミサ
「平和の祈り」を行ったのが、はじまり。
ミサが終わると、参加者はそれぞれにスローガンを掲げ、
デモンストレーションして街を歩きました。

月曜デモと呼ばれたこのイベント、
最初は数100人規模だったのが、
やがて多くの賛同者が集まり・・・
1989年10月9日には、7万人もの人々が集結!

ろうそくを手に、自由を訴えて、
政府軍の制圧をしりぞけたこの出来事は、
1カ月後、ベルリンの壁崩壊をみちびいたと言われています。
ライプツィヒとベルリン、
遠く離れた街が、自由の合言葉でつながる・・・
感慨深いものがあります。

なにかと暗い話題が多い昨今・・・
ライプツィヒは、平和の意味をあらためて、
問いかけているのかもしれません。

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