8/14/2010

世界の遺産の歩き方inメキシコ!

本日のデスティネーションは、中南米メキシコです。

空にむかってそそりたつ、近未来的な高層ビル。
かと思えば、スペイン植民地時代に建てられた、
カラフルなコロニアル建築の群れ。
また別の一画には、石造りの古代アステカ王国の遺跡。

現代・近代・そして古代文明、
3つの文化が ひとつの街に同居しているのが、
メキシコシティなんです。


インカ・マヤとならんで、
ラテンアメリカ三大文明のひとつに挙げられるアステカ。
現在のメキシコシティは、
アステカの首都:テノチティトランがあった場所。
いまも町なかに遺跡が残っているのは、
そういった理由からなんです。


かつてのアステカ王国の都 テノチティトラン
その中枢となっていたのが、
都をつかさどる神殿:テンプロ・マヨールです。

植民地時代以来、長い間 地下に眠っていたんですが、
およそ30年前、水道工事のさなかに偶然発見!
いまも発掘作業はつづけられています。

実は、テノチティトランには、
テンプロ・マヨールの他にも、
80近い神殿があったと言われています。

それらのほとんどは、植民地時代、
スペイン侵攻軍の手によって崩壊。

その瓦礫の上に、
ヨーロッパ風の教会や建物が建てられました。
しかも、そうした教会の多くは現在、
世界遺産に登録されているため
たとえアステカ遺跡といえども、
むやみに掘り起こすことができずにいるんです。

地上も、地下も、どっちも世界遺産、
あちらを立てればこちらが立たず、悩ましい!
偶然とはいえ、日の目を見たテンプロ・マヨールは
非常に貴重な存在だということが分かります。



テノチティトランからクルマにゆられて1時間半、メキシコシティの郊外へ。窓の向こうから、石造りの階段状の巨大建造物が、ティオティワカン遺跡です!

ティオティワカン遺跡が建てられたのは、
アステカ文明が起こるよりもずっと前紀元前後から~7世紀ごろ。
その後、14世紀にアステカ王国の人々がこの地を訪れ、
「神々が集う場所」=ティオティワカンと名付けた
と言われています。

アステカ文明では月や太陽を神として崇めていましたが、
そのよりどころとなったのがここ。
つまりティオティワカンは、
アステカ文明のルーツというべき場所なんです。

広大な敷地の中心を
南北4kmにわたって貫く「死者の大通り」。
かつては、ここを中心として
美しい都市国家が建設され、神殿や宮殿の数は600以上。

そのなかでもっとも目を引くのが、
階段状の石造りの建造物「太陽のピラミッド」。
高さ63メートル、四辺の長さは225メートル!
世界で3番目に高いピラミッドです。

死者の大通りのむこう端にももうひとつ、
あちらは「月のピラミッド」。
どちらも、長方形のしかくい石と、
端がななめになった台形の石を交互にかさねて、
ピラミッドの形をつくっています。

14世紀、アステカ王国の人々によって発見されたティオティワカンですが、誰が・どんな目的で作ったのか、ここでどんな生活をしていたのか、実態は謎のまま。メキシコの古代文明、奥がふかいです!

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