3/28/2009

<天文学の父”ガリレオ・ガリレイ”を訪ねて北イタリア>

今日は、ちょうど400年前、
ガリレオ・ガリレイが宇宙への扉をあけたというイタリア北部へ。


「それでも地球はまわっている」で知られるガリレオ・ガリレイは、
1564年2月、イタリア北部の町“ピサ”に生まれました。
お父さんは音楽家だったそうです。

赤毛のガリレオ少年は、
気難しくて一筋縄にはいかない子だったとか。


現在のピサの街へは、フィレンツェから車で1時間ほど。
中世の砦の跡や建物が多くのこっています。

世界の七不思議といわれる”ピサの斜塔 (Torre diPisa)”。




ガリレオは、この塔のてっぺんから重さの違う球を次々に落として、 「落体の法則」を発見したといわれています。
斜めになっているのが、実験にちょうどいい!」
..なんて言ったのでしょうか?
ガリレオ20代、ピサ大学の数学の講師だったころの逸話です。

※ 現在ピサの斜塔は、のぼることもできます。
15ユーロのチケットを買って入場。
ちょっと斜めになっている入り口を入って、
螺旋階段をのぼっていきます。

最上部に出ると、そこからはピサの街を見渡せるいい眺め♪
荘厳な雰囲気のドゥオモ広場や赤い瓦屋根の町並みが広がっています。


当時のピサはとても権威を重んじる街で、大学の講師だったガリレオは伝統的なガウンを身につけなければならなかったのですが、それを拒否した上・・

 ガウンを着たまえ。
  いかめしい顔をして、いばり散らす馬鹿なら、
  ガウンを着たまえ♪ 


なんて自作の歌まで、歌っちゃってたそうです。
そんなガリレオ、学生たちにだけは大人気だった..とか。 


次は、ベニスから電車で30分、
「グラン・ドットーレ(Gran Dottore)」
”偉大なる学士の街”と呼ばれる”パドヴァ”へ。


この街にあるイタリアで2番目に古い大学”パドヴァ大学”を
イタリア人は、たいへん誇りに思っているので、そう呼ぶのだとか。
コペルニクスもここで学び、詩人のダンテやペトラルカ、
そして1602年から、ガリレオもこの大学で教鞭をとっています

※ 現在このパドヴァ大学では、構内を巡るガイドツアーもあって、
解剖学の教室や、フレスコ画や装飾品がある大教室などを見学できます。

パドヴァの旧市街には、中世の門がのこされています。
そのひとつが、ポルタ・ポンテ・モリーノ(Porta e Ponte Molino)
モリーノ門のアーチには、碑板があって、それには
ここからガリレオは、天空を発見した』と、刻まれています。
この門の上に、ガリレオが小さな天文台をつくり
”木星”を発見した場所なのだとか。

1609年の夏、この街で、
ガリレオ・ガリレイは、手作りの望遠鏡で月をのぞきました。
彼が見たのは、平らな円盤ではなく、表面にでこぼこのある大きな球体..このとき、宇宙への扉が開いたのです。

ガリレオ・ガリレイは、パドヴァで18年間を過ごしました。
カーサ・ディ・ガリレオ(Casa di Galileo)
=ガリレオ・ガリレイの家”も、のこっています。

何回も引越しをした中の1軒ということですが、
大きくも立派でもないんですよね。

ガリレオにとって、このパドヴァでの月日は“人生で最高の時代”。
親友もできたし、恋もしました。
35才の時には、大恋愛もしたようです!

宮殿の裏通りに住む、美しくエキセントリックな21才の女性に。
ガリレオは、その女性マリナとの間に3人の子どもをもうけました。
よいお父さんだったそうですよ。

日本では、今月は卒業シーズンでしたが、
パドヴァ大学の卒業式の風景は、かなり盛大だそうです。
紙吹雪の舞う中、「ドットーレ!ドットーレ!」と大歓声があがるそう
です。この卒業風景を見に、観光客もやってくるほどなのだとか。

ガリレオは、その登場が早過ぎたために、数々の苦難もあったわけですが、晩年、彼に続々と朗報が届きました。
それは、自分を敬愛するかつての教え子たちが、
フランスやイギリス、ドイツなど各地の大学で
活躍を始めたという知らせでした。

ガリレオの早過ぎた発見が、
ようやく光の方へすすみ始めたのです。

ドットーレ! ドットーレ♪

by Haruko M.

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